お金を配りたがる人増えたねって話

※3分くらいで読めます。

お金を配りたがる人増えたよね。

別に悪いことじゃないし、自分の持ち物だ。

好きにしたらいい。眺めて遊んでもいいし、団扇にしてあおいでもいい。

 

批判的な感情は一切ない。

むしろたつぼんは新しい富の再分配の形の一つかなと興味津々に見ている。

 

共産主義や税制や、社会保障についての話については深くは語らないが(語るほどの知識もないが)ここまで金額の大きな話になると、社会現象として見る考え方もできるかもしれない。

 

経済の話。

経済とは社会が生産活動を行うためのシステムのことをいう(らしい)

うむ。よくわからぬ。

たつぼんの考える経済について話をする。

 

例えばおじさんがいるとする。

例えなくてもおじさんはそこら辺にたくさんいるのだが。おじさんはおじさんだから、若い女の子に武勇伝を話なから酒を飲みたい。飲みたくてしかたがない。

しかし、若い女の子は、おじさんと酒なんて飲みたくない。ましてや、武勇伝を聞きながらなんてまっぴらだ。

 

どうしても若い女の子と酒を飲みたいおじさんはコンビニで1000円で売られている酒を5000円払うから若い女の子にお酌をしてもらい、隣の席に座り武勇伝を聞いてもらうよう交渉した。

 

交渉は成立した。これがいわゆるキャバクラなのだが、当然1000円の酒を5000円で売っているから、ピンハネははかどる。お店と女の子は大金を手に入れる。しかし、女の子はおじさんの武勇伝を聞きながらなんて酒を飲んだためにストレスフルである。女の子は愚痴を聞いてもらいながらイケメンに酒を飲ませたい。

 

ホストクラブに出掛ける。ホストもまぁキャバクラと同じような理屈でピンハネがはかどり、大金を手に入れる。そして、高級な車や時計を購入する。ディーラーが儲かる。高級車は燃費が悪いためガソリンも売れる。カゾスタのバイトに時給払う。バイトは欲しかった服を買い、いらない服を古着屋で売る。古着屋は500円で買い取った服を1500円で売る。

 

まぁようはこんなもんがくるくる回ってるのが経済だ(とたつぼんは解釈している)

 

そして、経済が回る中でエゲツナイくらい金を手にする奴が出てくる。その金の一部は税金だったり色んな口実で国に集められて、あんまり金を手にできなかった人達に分配される(これが富の再分配という)

 

それでも有り余るほど金を持ってる人が、多分あんまりお金を持ってない人に配るというのが富裕層(主に一代で財を築いた)の間で流行している。それがTwitterのフォローとRTだけで、金がほしいという意思表示になる。めっちゃ簡単。デメリットはフォローワーに対して、あ、あの人金ほしいんだ。と少し冷ややかに見られるくらいで他は特にない。

 

まぁこれがある意味新しい富の再分配の形になりえるなあとたつぼんは見ているわけである。特に感想を抱くこともなく見ているだけであるのだが。

 

言うまでもなく最近資産を増やす方法は多用にある。投資や運用、副業、銀行借り入れ等々。怪しいセミナーも含めて数えきれないほどある。金を手にするためのセミナーに金を払ってくる人もたくさんいるし、それが詐欺だったり、詐欺じゃなかったりするし、詐欺じゃなかったんだけど、言われた通り運用して大損こいたりすることもある。それも経済である。

 

そんなこんなで経済は回りサービスは拡充されていく。コンビニは24時間開くようになり、ボタン1つで翌日には海外の製品が手に入るようになった。多分ボタン1つでできることはもっと増えるだろう。

 

話を戻すが、大金を配る人は注目される。100万円の使い道をプレゼンし目に留まるように懸命に訴える人が続出する。それはとても自然なことであり、何度も言うが否定的な感情は一切ない、が、幸福と資産の量は比例しない。

 

よく言われる話だが大金持ちでもすごく不幸に生きている人もおれば、貧しくても幸福に生きている人はたくさんいる。

 

だから、自分にとっての幸せは何で、そのためにいくらのお金が必要かを考え、必要なときに必要なお金があればよいのである。それがみんな実現できていれば、みんな幸せだ。裏を返せば、思い描く幸せを実現するために必要なお金と、手持ちのお金にギャップがあればそれは不幸なことである。

 

たつぼんの思い描く小さな幸せを実現するために必要なお金は、たつぼんの収入で十分に足りている。一方でもう少し長期的で大きなことを考えると100万円ではとても足りない。だから、こうしたTwitterの企画にはたつぼんは参加しない。100万円もらっても仕方がないのだ。(カッコつけてるがどうせ当たらねえからという気持ちが9割りです)

 

また、お金がいくらあっても実現できないことや手に入らないものはたくさんある。月並みだが、それは人との繋がりである。まあ要するに愛はお金では買えないよね的なことを言いたいのだが。

 

例えば世界が大災害に見回れたとき、お金は無意味になる。お金は食べられないし、着れないからだ。そんなとき支え合えるのは、親しい友人や家族や恋人だ。

 

お金で愛が買える(ことがある)のは、お金が通常に機能している時だけである。

 

お金が機能しないときでも助け合える仲間がいることはとても幸せなことである。そんな人を作りたいし、誰かにとってそれくらいに信頼できる人間になれていたらそれも幸せなことだと思う。

 

そんな風に愛してくれる人にはフォローもRTもいらないよ。全部あげちゃうよなんて思う。

 

今日は大好きなお友達とゲームをしていた。

とても楽しかったが、小腹がすいたので100円で買ってきたじゃがりこを食べた。

 

結構、幸せだった。

 

今日も支離滅裂で読みにくい内容でごめんなさい。この記事を通して言いたいこは特にありません。