ブログも書いてみたよって話
詩ついでにブログ書くけど、内容が内容だけに多重人格とか思わないでねw
生きていくのは大変だよね。
ただ生きてるだけなのに、家賃や光熱費ケータイ料金に税金や年金なんか払うだけでも結構な金がかかる。
そんな中で友達と飲んだり、服を買ったり、趣味や欲しいものに金を使って将来にも備えなさい。子を設けて少子化社会に立ち向かいなさいって。
そんな簡単に言うなよ。生きるだけでいくらかかるか知ってんのかって。
科学的な根拠に基づいて大金を持っていることは幸福度を向上させる事は直結しないらしい。
金で幸せは買えないんだって。
一方科学的な根拠に基づいて金があれば不幸は減らせるらしい。
金で不幸は売れるんだって。
まぁそれは科学的な根拠に基づく事実として受け入れるとしてなんなんのよ?って話でさ。
東京で生きていくとさ、例えば自分より金があったり、頭が良かったり、女の子にモテたり、そんな奴はゴロゴロいて人並みにうわー羨ましいとか、くそー負けてらんねえとか思い知らされる事って本当によくあって、そーゆー感情に支配される自分がとても嫌いで東京で生きていく事がすごく嫌だった。
会社には何度も今すぐ地元大阪の支店に異動させろって交渉した。
まぁ聞き入れて貰えなくて今も山の手線のど真ん中にある会社が借りてきた家に住んでるんだけどさ。
そんな風にいいように使われるのがすごく嫌で、自己啓発の本やエッセイ本を何冊も読んでみたりしたんだけど、これが全く響かない。
書かれてる内容については、まあ上手な文章を書く人がいるのねえってそんなもん。
その本売れてるんでしょ?
自分の悩みや苦悩や葛藤も、ベストセラーに書かれた一文で、その他多くの人にも共感される程度のもんで説明されようなもんなのねえ。悲しくもなれない。
ただ自由に生きていきたかった。外部的な刺激や、よく分からない誘惑に心を動かされないように。
元カノはそーゆー人だった。
俺が付き合ってた1年で、仕事を4回変えた。
当然金はなくて、出会った時キャバクラではたらくか、俺の家に居候して生きていくかどっちにするか悩んでるんだけどどっちがいいと思う?って聞かれた。
そーゆーとこがすごく好きだった。同じ道は歩めなかったけど。
ただ、だいたいの事ってそんなもん。
今日は後輩に仕事をの事で悩んでるので相談乗ってくださいと飲みに誘われた。
話を聞いてた。
飲んでる居酒屋の隣の席では、先輩風の男と、恐らくその後輩が飲んでた。
多分俺達と同じような話をしてた。
この人達のあいだに生まれる分かり合えた感も、悩みを打ち明けた感も全国どこにでもある乗るに足らない様なことで、俺達のそれも同じでさ。
明日も生きていくのに、そんなもんで救われた様な気になるんだよな。不思議だよ。
でも、本当に救われた様な気がするから、ひとの脳もこころも大した事ないし、人によって大きく異なる部分なんてない。
統計や科学に基づくように感情は推移して、大方の予想通りのように心は動いてく。
そんな中での、あなたしかいないなんて言える、たった1人の人なんていないだろ。
なのに人から愛されたくて仕方がない。愛してると言ってくれるだけで救われた気になるのはなぜだろうね。
特別な人間なんかいない。自分自身どこにでもいる普通の人だと強く自覚してるし。
ごめん続き書くの面倒くさくなってきた
酔っぱらいのたわごとだから。書いてることの意味や意図が知りたいなら、聞いてくださいな。
1つ伝えたいのはいつもありがとー。めんどくさい人間なんだ。ごめん。って事かなあ。