本心の話。

人の心は氷山である。

 

要は海底にいっぱい氷があって、人目に触れている部分は海面に出ているわずかな部分のみだ的なことが言いたい。

 

ましてインターネット海域の氷山なんて塩分濃度とかそーゆーのがおかしいからほとんど海中に潜っていて見えないし、大気の成分がばぐってるせいで妙な幻覚を見せられたりする。

 

それは当たり前ともいえる。インターネット海域には悪い海賊がいっぱいいて許可もなく氷山に上陸してキャンプを設営しはじめたりする。

適切な自己防衛をするならば大部分は海の底に隠しておくべきだ。

 

もちろん信頼できる船乗りもいるのだが。信頼できる顔した海賊もいたいりするからもうわけわかめ

 

船乗りにもいろんなタイプがいる。攻略しやすい氷山を片っ端から登頂して旗を立てていくタイプや、あえて厄介な山に挑み尾根の隠れた場所に控えめな旗を立てて帰る人もいる。

俺は後者のタイプなのだが、最近とんでもなく厄介な氷山を引き当て遭難寸前である。

 

この氷山の一角じゃない部分にせまる扉を見つけ出してはいる。扉の門番からも短時間で扉を見つけ出す洞察力について一定の評価を得られているようには感じるのだが、一方、妙な読心術や話術を操るインターネット海域からやってきた怪しげな男と見られているきらいがあり、要は心の底からは信用されていないのである。

 

が、そもそも妙な読心術や話術を身に着けたのは人から信頼されるためであるのだが、かえってそれが怪しいと思われるのは皮肉であると苦笑しつつ門番には

「どうしてこの扉は硬く閉ざされているのか?」と聞いてみたりもするのだが、

「お前に答える義理はない。」とはぐらかさる。しかし、不快感をあらわにする感じではない。むしろ少し楽し気にはぐらかされるから不思議である

 

時折気まぐれに門番が話しかけてくることがある。その妙な読心術はどこで身に着けたのか?と。

 

最近気づいたのだが、どうもこれは技術の根底を知り、要するに盗もうとしているようである。しかし、こちらもこちらで気まぐれに話しかけてくる門番の言葉から本質を抽出しようと情報を聞き出そうとする。こちらの技術の種明かしが先に底をつくか、こちらが先に情報を聞き出せるか。門番と妙な駆け引きを強いられている。

 

たぶん門番も見てるだろうから大ヒントを話すと、門番は少し視野が狭いのが弱点である。○○さんらしいね、△さんはこうだよねとよく口にする。その決めつけはまずいよと100人の情報を管理したいならそれでも良いが、10人と密に何かを進めたいなら、特に門番のようなカリスマのある人はそういうところから足元をすくわれる。

要するに不測の事態や、イレギュラーの際動揺しやすいのである。

 

一方で俺の弱点は、少しせっかちである。出尽くしている情報だけで推論できる最終地点まではすぐにたどり着いてしまうため、その先の情報を前のめり気味に取りに行こうとしてまうところがある。

年々マシになってきているが、まだ少し今のは慌てたなあと反省することが今でもある。

 

と、話を戻すのだがそんな妙な駆け引きを楽しんでいる自分がいたりするのも事実なのだが、インターネット海域でたまたまたどり着いた氷山の底まで見たいと思うのはおこがましい事なのかもしれない。また知られたくないことは暴くべきではないのかもしれない。

 

先日も記載したが、本性を知らないという事=深い関係になれないこととは無関係である。

そもそも深い関係になれた。分かり合えたという一瞬の甘美を俺は求めていない。

大切なのは分かり合い続けることで、そちらの方が遥かに難しく、遥かに尊いことである。

 

「知ってる事」と「知らない事すら知らない事」は個人の認識の中ではとどのつまり同じ事だ。

 

知りたい事は分からないし、知りたくなかった事だけは勝手に情報が入ってくる。

 

難しい問題だ。自己開示無くして先には進めないが、この道を進む気がない者は開示する必要は当然なく、違う知らない道を進むのならそれで良い。

 

要するに浅く緩く、だからこそ居心地イイネを求めている相手に、己は何者なのだ?とは聞けんよねと。

 

あなたとは友達としてずっと居たかった相手に告白するのはお互い辛かろうよ。

 

 

 

未完!!

 

 

習慣とコミュニケーションの話

意外に読んでる人が多いため、更新がんばろうと思ったので書きます。

 

ちなみにブログを始めた理由については一回目の記事に記載しておるよんと。

また、メンタリストうんぬんの話を最近しているが心理学の専門的な知識はたつぼんにはない。

本ブログで記載してるのは彼らの動画を見たあくまでもただの感想である。

 

心を読むと言うがそもそも心なんてものはないし、人は精神状態や気分に応じて臨機応変に判断し物事を適宜判断しておりそこに一定の法則を見出すというのは、ナンセンスだ。

 

同じ人間が同じシチュエーションでも違う判断をするなんてことはよくある。

 

よってたつぼんは人の心を読んだり精神状態を分析することはできない。

が、ある程度親しい人の置かれている状況ちょっとした気分の上がり下がりは大まかには分かる。

 

その根拠とほんの少しの見抜き方について話をする。

 

人の生活とはほぼ習慣でできている。

特に規律正しく、切り替えやオンオフをしっかりやってる人のは特に分かりやすい。

 

例えばたつぼんはサラリーマンである。土日休みである。この事を知ってる人からするとたつぼんは平日の朝~夕方頃までは仕事をしている事が分かる。

当たり前の話だがこれを推し進めて行くとほぼ全ての人は同じ行動パターンで日々を送っている。

 

何時頃にゲームをしており、何時頃にTwitterを開く、何時頃にメールやLINEの返事をする。ダラダラ返事を書くタイプか?まとめて書くタイプか?全て習慣がある。

 

ある程度親しい人と言うのはこの習慣を把握できる程の間柄であるということである。

 

それさえ分かれば例えばお客様の電話に繋がりやすい時間帯や、意中の異性からLINEが返ってきやすい時間帯というのが分かるし、相手の迷惑にかからないタイミングや言葉の掛け方と言うのが分かってくる。

 

こんな話がある。海外で毎日ピザを注文するひとがいた。ある日その人からピザの注文がなかった。不審に思った配達員が様子を見に行くと、その人は自宅で倒れていた。発見が早かったために一命を取り留める事がてきたと。

 

要するにこれだ。ある程度親しい間柄の相手に適切な関心を向けていれば相手の状況や気分の上がり下がりを予測することは出来る。

やりすぎるとネットストーカーなので注意しよう。

 

某人気声優のSNSの更新内容からその声優の生理周期を予測する卒業論文が少し前に話題になっていたが、どう考えてもそれはやりすぎである。しかし、見る人が見れば分かるものは分かってしまうのも事実である。

 

話を戻すが、どの時間帯にどんな言葉をかけるかは、当人の気遣いや声掛けのセンスによるものだが、分かっててかける言葉と分からずにかける言葉では意味やつたわり方も違ってくる。

 

しかし、ここで分かるのはその人の習慣である。習慣が乱れておれば多忙か、何かイレギュラーが発生していると、なら少し誘いを控えようかと。習慣を把握し、大切な人や大切なお客様の状態を理解してあげられる人になれると良いなあと思うが、人というのはあまり監視されてる感を与えられると不快に感じる。見えていても見えていない振りをしたり、勘違いした振りをするのもまた気遣いである。

 

(余談だが気遣いの本質は相手の立場で考えるでは不十分だ。なぜなら相手の立場に立った所で判断する主体が違えば求めるものも違ってくるからだ。腹が立つ事があって、相手をぶん殴る人もおれば、静かに怒る人もいる。相手の立場で考えるではなく、相手になりきって考えるが重要だ。はい。長い余談終わり。)

 

たつぼんは相手の状況や大まかな気持ちの動きが見えていても何と声をかければ良いか分からないことがある。相手の状態は手に取るように分かるが手のさしのべ方や助け舟の出し方が分からない。また出さない方が良いこともある。

 

それらの判断は相手を知り、相手の事を真に考えなくてはならず、習慣を見極める事より遥かに難しい。

が、やはりそのきっかけはコミュニケーションだ。

 

コミュニケーションについて私見を話すと、コミュニケーションとは言葉の解釈であると思う。

 

例えば、女性に好きなタイプは?ときくと

 

決断力のある人だと言う。

 

しかし決断力とはなんだ?

 

優柔不断と呼ばれる人がいるが、彼らは消極的に決断をしないという決断をしているとも言えるし、自信満々にズレた決断をしまくる奴もいるだろう。

 

彼女もそれは想定していないはずだ。

 

よって、決断力のある人という言葉では、共通認識を形成することはできない。生きた言葉にしていくには、相手と自分の間で言語の同期が必要である。

 

そのためには具体例をあげつつ、イメージを共有しなくてはならない。また経験を共に積んでいかなくてはならない。そうして帰納法に共通認識がうまれる。

 

稀に同じ言語を使う人に巡り合えることがあって、そんなことがあるとあら素敵、この人は私の運命の人ねと思えたりすることもあるのだが、それはマレだ。いわゆるビビッときたってやつだ。

 

が、これも人によりけりで5年同じ職場で話をし続けても同じ言語を共有できない人もおれば、一夜で同期が完了することもある。

 

たつぼんが心掛けているのは、自分の言葉をほぼ誰もが理解できる言葉に置き換える事だ。

 

たつぼんは割とよく喋る人であるがそれこのためだ。私はこの言葉をこーゆー意味で使いましたが分かりますか?分からないなら別の説明をしますねをしていると必然的によく喋らくてはならなくなる。

 

一方双子の兄とは、いわゆる双子言語のようなものがあるため、

 

お前さ、あれは?

 

それはあれだろ!

 

あー、でもさー?

 

あーおけおけ。

 

↑これだけで全ての会話が成立したりする。家族間だと、あれ取ってが醤油だと伝わる的なものだ。

 

と、少し話しはそれたが解釈により共通の言語を使えるようになれば分かり合えた感は生まれ、関係はより親密になる。

 

また、求めるもの求められるものも分かる。

さらに、相手の習慣も理解しておれば完璧だ。

 

 

 

と、ここまで読んで貰ってありがたいのだご、このブログも申し訳ないがあえてたつぼん語で書かれている。大学の論文書く時は口語体うんぬんは置いといたとしてもこんな書き方はしない。

 

と、まあすらすら読んで咀嚼できた人はたつぼんと言語的な同期はある程度できているということだ。

 

ぜひ、みなまで言わんでもお前の言いたいことは分かっとるわいと言ってくれ。

 

過去何回かのブログではそもそも人の性格って一概に言葉で言い表せないよねという話をした。また、好きなタイプは?と聞かれて平気で矛盾した事を言う事があるよねという話をした。

 

言葉では言い表せないことが多い。また言い表せたとしても、それを他者に伝えるには別の言葉を使わなくてはならない。途方のない作業である。

さらに、同じ言語を共有できたとしても友人、恋人として相性がいいとも限らない。

 

旦那の言う事は1つも分かりませんけど、私は幸せですよなんてニコニコしながら言うおばあちゃんがいるだろう。

 

これも愛だから不思議だ。

 

と、まぁこの手の答えのないテーマについて考察していく事を人生通して続けてきているのだが、その事と実生活はなんの関係もなかったりする。

 

理解できないことがあっても仕事はできるし、遊びにも行けるし、食事もできる。

その合間のふとした時に考える。

 

俺はそんな習慣で生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きな人の気持ちを知る方法の話

※3分位でよめます。

先日のブログでも書いていたが、兄にすすめられてDaiGoさんのYouTubeを見始めたのだが、どうやらメンタリストはDaiGoさんだけでなく有象無象の雑魚も含めたくさんの人達がいるようであった。

そんな、メンタリスト業界の方々の動画を見ていてある程度メンタリストのなんたるかを自分なりに少しは理解した。

彼らは人の仕草や態度、発言や行動から相手の真意を見抜く技術を持っている。また、こちらの発言や態度により相手の心理を操作する技術を持っていると、まあそんな感じである。

 

が、あくまでも彼らの技術は心理学と統計に基づく傾向である。

要するに、嘘をついてる人は右斜め上に目が泳ぐ傾向がある。好きな人へのLINEは可愛い絵文字やスタンプが多い可能性が高い。興味を持ってる相手には脚の先が向いていることがよくある。ボディタッチが多い人はあなたに気がある確率が高いと。。こんな感じなのだが、たつぼんは思うわけである。

 

なんや、結局何もわからねえのと同じじゃねえか。と。

 

可能性や傾向の話だけならワイでもできるやないかと。ただ、彼ら言う可能性や傾向というのは確かな統計と心理学に基づいており、一定の、妥当性がある事は、動画を見てたつぼんも納得している。その点は補足しておく。

 

しかし、あの手の動画は往々にして恋愛や営業スキルに結びつけて語られるのだがタイトルがよくない。

気になる異性があなたが好きかを見抜く方法を教えますなどとタイトルを付けておきながら、結局は可能性の話かと。濃い薄いは測れても、とどのつまり確実に黒か白かは分からないのである。まあ当たり前なのだが。

しかし、たつぼんは100%相手の気持ちを知る方法を思い付いた。なので皆様に紹介したいと思う。

 

しかもとても簡単。心理学の知識や、誘導のテクニックは一切必要ないのである。さらに言うと今すぐできる。もったいぶっても仕方ないので教えよう。

 

 

 

まずは気になる人を思い浮かべる。

 

思い浮かべただろうか?

 

次にその人に電話をする。電話が繋がった。

 

そして私の事が好き?と聞いてみよう。

 

これなら100%分かるだろう?さあ今すぐ実践しよう!

 

 

言いたいことはよく分かった。それが聞けねえから、心理学やら傾向に頼るんだろがいと。

しかし考えて欲しい。では、なぜ聞けないのか。聞けないのは自信が無いからだ。望み通りの答えが返ってくる自信が無い。自信が無いから怖くて聞けない。

 

心理学を身につけるよりもこの度胸を身につける方が余程役に立つ。聞けないなら聞けるようになればよい。聞けるようになるには自信をつければよい。自信を付けるには相手の理想や好みを聞きそこに近づければ良いし、その好みがよく分からんなら、何となくこうした方がいいことってあるだろう。

優しい方がいい。体力がある方がいい。頭がいい方がいい。謙虚な方がいい。などなど。そうなるように頑張りなさいな。

 

と、クソくだらん記事を書きました。ここまで読ませてしまい申し訳ない。

 

 

くだらなさすぎる内容なのでもう少しだけ別の話をする。

 

好きと言われて嫌な気になる人はいないvs興味の無い人から向けられる好意ほど気持ち悪いものはない

 

この戦争について。

たつぼんの持論としてはこれは両方正しい。

矛盾した内容だが両方正論である。前者については言うに及ばずで褒められたり好意を伝えられて嫌な気になる人はいない。社会や立場、モラルなど諸々外的な理由で困ることはあるかも知れないが嫌な気になる人はいないだろう。例えば教え子に告白された先生なんかは確かに困るだろうし、気持ちにも応えられないが嫌ではないだろう。

 

では、後者についてだがこれも正しい。

興味のない人から向けられる好意が気持ち悪いというのは、興味のない人から向けられる好意は恐怖であると言い換えられる。

恐怖とは未知のものを未知ゆえに感じるものだ。つまり、好意の主体や根源、源泉の分からぬ好意は怖いのである。

いきなり知らない人に好きだと言われても、怖いだろう?なぜ好きなのか?いったい自分の何を知って好きになったのか?

人を好きになるというのは大変なことである。そんな、大変なことを、さして深い関係でもなく、十分なコミュニケーションも取れていない相手から向けられるのは恐怖以外のなにものでもない。

 

出会い厨がいきなりデートに誘い断られるのはこれだ。きちんとコミュニケーションを取り交わし、しかるべき言葉と心のキャッチボールをした後に食事に誘えば相手もある程度寛容である。その辺を間違えないようにしなくてはならない。

 

と、まぁ人の心を読むこともできないが、こーゆーことをしたら相手は怖がるとか不信に思うなどと考えることが大切だ。それができれば心は読めなくとも安心感や信頼を得ることはできるだろう。

 

細かいテクニックうんぬんより人としての部分を磨くことが大切で、そのためには答えのない問題をたくさん抱えた人間関係というテーマついて深く考え続ける事が重要であろう。

 

次回はもう少し中身のある事を書きたいと思います。許してください。

 

 

 

 

 

 

人の性格の話

※3分位でよめます。、

兄にすすめられて最近YouTubeでDaiGoの動画を見ている。見ているというか、営業車のスピーカーに繋いで、運転中ぼんやり聞いている。

DaiGoとは、少し前に自らをメンタリストと称し、異なる絵柄のカードから1枚選ばせて、何を選んだか当てて飯を食っていた人の事だ。活動の場はYouTubeになっていたらしい。

YouTubeではカード当てている訳ではなく、彼のバックボーンである主に心理学の観点から人とのコミュニケーション能力、その他色々能力を向上させるために必要なマインドや知識を語るという主旨の動画を投稿しているようだった。

その動画を垂れ流しにして聞いていると、こんな話があった。

 

異性を振り向かせるには、相手の印象の逆の事を言うと効果的であると。

 

例えば、明るい女の子に対しては、実は物静かで大人しい1面もあるんじゃないの?と。そーするとあら、この方は私の事を分かって下さっているのねステキ。なんて思うそうだ。

 

人には両面性がある。いつも優しい人が、実はサイコパス的な所業に手めていたり、いつもふざけている人が納期目前に真面目になったり。

 

これはたつぼんの個人的な意見だが、占い等も主にこれで、何となく誰にでも当てはまりそうな事を、それっぽい演出をしながら語れば概ね当たるのである。あなたは本当はとても優しい人なのねとか言われれば、うんうんそうなんだよ。と思えてしまうものなのだ。

 

そして人には多面性がある。

真面目な面。不真面目な面。優しい面。冷酷な面。明るい面。陰鬱な面。社交的な面。内向的な面etc.....と、色んな要素があり性格は構成される。

 

また、人には気分がある。

体調も良くスッキリした目覚めを迎えられれば、少しのことでは腹が立たないのだが、お腹が痛くて睡眠不足。そんな時些細なことでも腹が立つことがあるだろう。所謂機嫌が悪いということなのだが、それで怒ったからといって、イコールその人は短気な人とはならない。いつもは穏やかだが何かあったんだと思うわけだ。

 

と、なると人の性格とはなんなのだろうか?

 

優しい性格だよねと言われたとして、いつも優しい訳ではない。たつぼんもこーゆー性格だよねと言われることがあるが常にそうではない。さらに言うと、同じ一面を見てもその感じ方は相手により異なる。

 

例えばあなたは頑張り屋さんだねと褒める。それを相手は私の事を見てくれていたのか、優しい人だと感想を持つ人もいれば、嫌味を言われた!なんて失礼な人だ!と感じる人もいる。

 

さらに突き詰めると、相手は私の事を見てくれていたのか、優しい人だと感想を持つ時もあれば、嫌味を言われた!なんて失礼な人だ!と感じる時もある。

 

とすれば、時と場合、条件、対象により相手の性格を評価する軸は変わる。さらに自己の認知している性格と他者の理解が異なる事もある。異ならない事もある。

もはや、人の性格の主体の所在すら分からない。

 

そんな、よく分からないものが人の内面と呼ばれる。そして、恋愛や就職活動において内面を評価すると言われ、〇とか×とか△が付けられる。

 

という訳で人の性格を言語で表現するというのはナンセンスなのだ。女の子に好きなタイプは?と聞くと、好きになった人がタイプです♡とか、フィーリングの合う人♡とか言われるが、ぶっちゃけそれでいいのだ。

 

というか、それでしか説明ができない。

 

ただ、興味深いのはフィーリングが合ったからお付き合いしましたというカップルであるが、もちろん別れる事もある。そして、多くの場合別れた理由については説明ができるのである。

 

金銭的価値観が合わない。生活リズムが合わない。性格の不一致など。

 

おい、フィーリングどこいってん。

 

と突っ込みたくなるのだが、本音か建前かさておき、フィーリングで付き合い始め合理的な理由で破局するケースが多いのは興味深い話だ。フィーリングが合わなくなったから別れたと言う人は少ないだろう。

 

ただ、これはなんのことはない。現実的な理由である。以下のように考えると理解しやすい。

 

見た目だけで交際相手を選ぶa君。ドンピシャなb子ちゃんとお付き合いを始める。

しかし、b子ちゃんは借金が500万あると判明し別れることとした。

 

⬆これは論理的に矛盾した話である。なぜなら見た目だけで交際相手を選んでいるのであれば、見た目以外の全ての要素は交際の継続と関係が無いことになる。よって、借金がいくらあろうが、100人と浮気しようが、容姿が衰えない限り別れる理由にはならないからだ。

 

要は交際相手を選ぶ基準が見た目だとしても、別れる理由は見た目以外というのは矛盾しているという話なのだが、現実の生活を維持する上で500万の借金はでかすぎる。それは誰でも思うことだ。だから、矛盾していても皆納得する。それは仕方ない、変な女に引っかかったねと。

 

それが見た目がフィーリングに置き変わろうと同じことが言える。フィーリングが一致しても、それ以外の理由で別れることは矛盾しているが、納得はされる。その方が合理的だからだ。

 

感情や性格等、言語で説明できないものは多い。それを非言語で理解するのがフィーリングである。

 

これには、見た目も含まれる。見るからに胡散臭そう。チャラそうと思われる人はいる。思わない人もいるのだが。感じ方が違うのもフィーリングの違いによるものだ。話したこともない人にそのような印象を持たれる。

 

話をしたらしたで、話から分かる性格というのもふわふわとして多面的で簡単には説明出来ない。しかし、一定の傾向や思考パターンは人により存在するのは経験上事実だろう。

 

要するに人の性格とはよく分からんし、説明の仕様がないのだ。

よく分からんから考えても仕方ないのだが、こうゆう事をついつい考えてしまう。

 

 

 

多分、そういう性格なんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金を配りたがる人増えたねって話

※3分くらいで読めます。

お金を配りたがる人増えたよね。

別に悪いことじゃないし、自分の持ち物だ。

好きにしたらいい。眺めて遊んでもいいし、団扇にしてあおいでもいい。

 

批判的な感情は一切ない。

むしろたつぼんは新しい富の再分配の形の一つかなと興味津々に見ている。

 

共産主義や税制や、社会保障についての話については深くは語らないが(語るほどの知識もないが)ここまで金額の大きな話になると、社会現象として見る考え方もできるかもしれない。

 

経済の話。

経済とは社会が生産活動を行うためのシステムのことをいう(らしい)

うむ。よくわからぬ。

たつぼんの考える経済について話をする。

 

例えばおじさんがいるとする。

例えなくてもおじさんはそこら辺にたくさんいるのだが。おじさんはおじさんだから、若い女の子に武勇伝を話なから酒を飲みたい。飲みたくてしかたがない。

しかし、若い女の子は、おじさんと酒なんて飲みたくない。ましてや、武勇伝を聞きながらなんてまっぴらだ。

 

どうしても若い女の子と酒を飲みたいおじさんはコンビニで1000円で売られている酒を5000円払うから若い女の子にお酌をしてもらい、隣の席に座り武勇伝を聞いてもらうよう交渉した。

 

交渉は成立した。これがいわゆるキャバクラなのだが、当然1000円の酒を5000円で売っているから、ピンハネははかどる。お店と女の子は大金を手に入れる。しかし、女の子はおじさんの武勇伝を聞きながらなんて酒を飲んだためにストレスフルである。女の子は愚痴を聞いてもらいながらイケメンに酒を飲ませたい。

 

ホストクラブに出掛ける。ホストもまぁキャバクラと同じような理屈でピンハネがはかどり、大金を手に入れる。そして、高級な車や時計を購入する。ディーラーが儲かる。高級車は燃費が悪いためガソリンも売れる。カゾスタのバイトに時給払う。バイトは欲しかった服を買い、いらない服を古着屋で売る。古着屋は500円で買い取った服を1500円で売る。

 

まぁようはこんなもんがくるくる回ってるのが経済だ(とたつぼんは解釈している)

 

そして、経済が回る中でエゲツナイくらい金を手にする奴が出てくる。その金の一部は税金だったり色んな口実で国に集められて、あんまり金を手にできなかった人達に分配される(これが富の再分配という)

 

それでも有り余るほど金を持ってる人が、多分あんまりお金を持ってない人に配るというのが富裕層(主に一代で財を築いた)の間で流行している。それがTwitterのフォローとRTだけで、金がほしいという意思表示になる。めっちゃ簡単。デメリットはフォローワーに対して、あ、あの人金ほしいんだ。と少し冷ややかに見られるくらいで他は特にない。

 

まぁこれがある意味新しい富の再分配の形になりえるなあとたつぼんは見ているわけである。特に感想を抱くこともなく見ているだけであるのだが。

 

言うまでもなく最近資産を増やす方法は多用にある。投資や運用、副業、銀行借り入れ等々。怪しいセミナーも含めて数えきれないほどある。金を手にするためのセミナーに金を払ってくる人もたくさんいるし、それが詐欺だったり、詐欺じゃなかったりするし、詐欺じゃなかったんだけど、言われた通り運用して大損こいたりすることもある。それも経済である。

 

そんなこんなで経済は回りサービスは拡充されていく。コンビニは24時間開くようになり、ボタン1つで翌日には海外の製品が手に入るようになった。多分ボタン1つでできることはもっと増えるだろう。

 

話を戻すが、大金を配る人は注目される。100万円の使い道をプレゼンし目に留まるように懸命に訴える人が続出する。それはとても自然なことであり、何度も言うが否定的な感情は一切ない、が、幸福と資産の量は比例しない。

 

よく言われる話だが大金持ちでもすごく不幸に生きている人もおれば、貧しくても幸福に生きている人はたくさんいる。

 

だから、自分にとっての幸せは何で、そのためにいくらのお金が必要かを考え、必要なときに必要なお金があればよいのである。それがみんな実現できていれば、みんな幸せだ。裏を返せば、思い描く幸せを実現するために必要なお金と、手持ちのお金にギャップがあればそれは不幸なことである。

 

たつぼんの思い描く小さな幸せを実現するために必要なお金は、たつぼんの収入で十分に足りている。一方でもう少し長期的で大きなことを考えると100万円ではとても足りない。だから、こうしたTwitterの企画にはたつぼんは参加しない。100万円もらっても仕方がないのだ。(カッコつけてるがどうせ当たらねえからという気持ちが9割りです)

 

また、お金がいくらあっても実現できないことや手に入らないものはたくさんある。月並みだが、それは人との繋がりである。まあ要するに愛はお金では買えないよね的なことを言いたいのだが。

 

例えば世界が大災害に見回れたとき、お金は無意味になる。お金は食べられないし、着れないからだ。そんなとき支え合えるのは、親しい友人や家族や恋人だ。

 

お金で愛が買える(ことがある)のは、お金が通常に機能している時だけである。

 

お金が機能しないときでも助け合える仲間がいることはとても幸せなことである。そんな人を作りたいし、誰かにとってそれくらいに信頼できる人間になれていたらそれも幸せなことだと思う。

 

そんな風に愛してくれる人にはフォローもRTもいらないよ。全部あげちゃうよなんて思う。

 

今日は大好きなお友達とゲームをしていた。

とても楽しかったが、小腹がすいたので100円で買ってきたじゃがりこを食べた。

 

結構、幸せだった。

 

今日も支離滅裂で読みにくい内容でごめんなさい。この記事を通して言いたいこは特にありません。

 

 

 

 

 

 

 

ブログを書き始めようと思った話。

※三分くらいで読めます。

一年の計は元旦にあり。

 

このことわざの意味は一年の計は元旦にあるという事である。そのまんまである。が、実はこのことわざには続き、と言うか前後に色々な文章がついている。

 

一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にありうんたらかんたらという具合である。

 

本ブログではことわざの知識について披露する事を本旨としていないため、この辺にしておくが、要は何事も最初が肝心だということである。

新年あけて一週間。ことわざ通りに元旦に計を立てた者から、すでに一週間出遅れているのだが、せっかくなので計を立てて何か始めようかと考えたのである。

 

その一つがこれ。漫然と漠然と時間を過ごさぬよう、感じたことや体験したことを文章に残しておこうと思った。

 

この話で大事なことは、文章を書くことは目的ではないことだ。目的は漫然と漠然とした時間を過ごさないようにすることだ。それを達成する手段としてたつぼんは文章を書くことを選んだ。それが、合理的な手段かどうかは今後のたつぼん次第なのだが、文章を書くことは好きだ。

 

たつぼんは今少し、やりたいことや向かうべき道が分からない。だから、何も考えず日々を過ごすと、それは漫然と漠然としたものになる。それを防ぐために書く。

 

いつかただ好きだからという理由だけで文章を書ける日がこればいいなと思う訳である。

 

と、長い前置きはこの辺に。

最初の記事になる。先に述べたように何事も最初が肝心だ。とりわけ人間関係の構築において第一印象、ファーストコンタクトこそ最も重要である。なぜなら人には寿命がある。老いが来る。時間は有限だ。

 

もしも、人間が不老不死で無限の時間を生きることができるなら、全人類とじっくり話をして、一人ずつ人となりを見て、気の合う人をゆっくりと探せばいい。が、時間的に制限のある世界で生きているから、短時間で判断を下さなくてはならない。信用のできる人間か?気が合いそうか?価値観が合うのか?一瞬で組分けがなされる。

 

多くの人がやっているフォロワーの整理や、連絡手段のブロック。組分けに漏れた人はそうやって、彼女の人生には必要のない人になって切られる。

だから、組分けに漏れないためには第一印象をよくしなくてはならない。

 

その組分けをパスしないことにはお話にすらないないのである。第一印象において、あなたが誠実な人間であることより、誠実そうな人間に見せる技術を持っていることの方が遥かに重要だ。

 

なんでそんな男と付き合ったの?と言いたくなるような男とばかり付き合う女の子は割りといるが、これが典型的な話だ。第一印象は良かったのだ。組分けをパスして侵入してきて、本性を現してから大変な事になる。

チャラチャラした男がモテるのも同様の理屈である。

 

少し話がそれるが、女性が付き合いたいと感じるメカニズムは3つあると考えている。

1つ目が第一印象。

2つ目が条件面(年齢、職業、収入、性格、容姿、価値観等)

3つ目が、その男とセックスができるか。

 

3つを満たした時に女性はその男と付き合いたいと感じる。女性の価値観や考えにより比重は変化する。また、3つは独立したものではなく、相互に関連しあっていることは前提としたい。

 

チャラ男は1と3をなんなくクリアしてくる。2がダメで多くのケースで破局する。一方で、女の子がよくいう普通の人と付き合いたいという話。普通の人は概ね2をクリアできる。が、1と3をクリアできず恋愛にすら至らない。普通の人がいないと女の子が嘆くのはこの論理だとたつぼんは持論を展開したいのだが、この話を始めると永遠に語れてしまい、睡眠時間がなくなってしまうのでこの辺にしておく。論理的な穴や異論があれば大いに聞き入れる。

 

閑話休題

 

第一印象とファーストコンタクトの話だ。

これらを良く見せる技術や話術は確かに存在する。たつぼんも出掛けるときには髪型をセットするし、服のシワを伸ばす。時には手土産を持参し、笑顔で挨拶する。

 

それは、最低限のエチケットとして大切なことだ。相手に不快感を与えないようにする気遣いでもあり、相手からの印象を良くするために行うものでもある。が、多くの場合は後者。結局相手によく思われたい自分のためだ。(人類が全滅しても化粧をして出掛ける人は少ないだろう)

 

それが功を奏したり、しなかったりして、気に入られたり、気に入られなかったりする。

あるいは気に入ったり、気に入らなかったりする。

だから、第一印象は重要で、最初にしくじると次ぎはない。

 

が、その人との次ぎはなくとも、他の人との次ぎはすぐに訪れる。一年の計も立てたはいいが、動かなければ次には進まない。

 

私の人生には必要ないと言われても、人生は続き、他の人と巡り合わせが来る。不器用で人見知りで初対面はうまく話せない。そんな人は第一印象を磨くことは大切だ。多くの場合はそれで今後の付き合いが決まる。ここまでも延々とその話をしてきた。

 

しかし、絶対に挽回が不可能というわけでもない。出会い方が悪くても、(悪かったからこそ)あなたを見てくれることもあり挽回できることもある。そこで、第一印象の誤りに気付き違うあなたの一面見てくれることもある。しかも、その方があなたの本質を見ている。一生の付き合いになり、うまくいくのはこちらのケースの方が多いかもしれない。

 

と、最後に蒸し返して、一貫性のない文章になってしまい申し訳ないが、終わりよければすべてよしと、広い心で受け止めてほしい。

 

何事も最初が肝心である。

真理だと思う。

終わりよければすべてよし。

これもまた真理だと思う。